2010年1月9日土曜日

たけしのニッポンのミカタ!「親をやめた大人たち」

昨晩、お腹をすかせてダンナ様の帰宅を待っていて、ぼーっとテレビを見ていました。昨日は税理士先生と2時間ほどあーでもない、こーでもないと難しい話をしていたので、どうやら脳味噌キャパオーバーだったらしく珍しく帰宅してソファでゴロンとしていたのです。
そこでやっていたのが「たけしのニッポンのミカタ」という番組でした。
最近のニート達の生活ぶりや、友達親子についてのショートドキュメント。ニート達のことはもうコメントする気力もないのですが、友達親子については考えさせられましたね。
タトゥーやピアスを娘と競い合いながらやり続ける親、他人にしつけを任せる親。
それを“友達みたいで好き”という子供。

友達は友達、親は親です。

そんな基本的なことがなぜわからなくなってしまうのか?
母子消費と言われるマーケット動向、生活不安からくる親の自信喪失、核家族化…言い訳をあげればきりなく色々な、「仕方がない、時代だね」と納得する言葉達が出てきます。
もちろん時代によってファミリーとしての過ごし方は変わります。生活ツールの違いにより変化する“時間の使い方”は当然あります。でも、一番最初に子供が出会う先人である“親”が教えるべき人間の基礎は、絶対に変化してはならないのではないでしょうか?

親と子が一緒にいられる時間なんて、人間の一生から見たら本当に少しの時間なのです。
学校に行ったり、友達と遊んだり、会社に行ったり、結婚したり。
人間の進む道を蜘蛛の巣と例えれば、親が作ってくれた最初の蜘蛛の糸はなくてはならない中心の巣。
そしてそれは、自分で社会とつながる糸を編み進めていけばいくほど、振り返ってももう戻れない場所にある。でもそれがそこにあるから糸は絡まり続けられる。
その中心が細いのか太いのか、正しく組まれているのか適当なのか、それによってその人の蜘蛛の巣は変わってくると思います。
親には子供が沢山の糸を絡めて、大きく立派な蜘蛛の巣をつくれるように土台をつくってあげなければならないのではないでしょうか?

“親子のつながり”というのを商品開発テーマにしているダディッコは、シートベルトという極めて堅牢な糸を使ってそれを表現していきたいと思っています。
でも時々こうやってちゃんと振り返らないと、ぶれそうになってしまうこともあります。
このブログをご覧頂いているパパ・ママ、ぜひそんなつながりを大事にしているエピソードがありましたら教えてくださいね。

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