2010年9月26日日曜日

片山右京著「女性に贈る運転上手へのコツ」発売

とりあえず、何はともあれうれしいのだ。
ばんざーい!!ものすごく集中してやったお仕事。

片山右京著「女性に贈る運転上手へのコツ」 の構成。
どうぞお求めは、お近くの書店かアマゾンへ。ぜひいきなりベストセラーでお願いします(笑)
http://amzn.to/ccHZC1


  

裏表紙にね、「構成:齋藤路子」と書いてあるんですよ。
そして、最終章の番外編では右京さんのお隣にのってドライブ指導して頂いた風景しかり、対談しかり。右京さんの言葉は本当に真剣で、愛があって、面白くて最高!
そんな本の構成に関わることが出来て、そして書店に並んでいる姿を見たらそりゃもう愛しいわが子達よ~。
自分で言うのもナンですが、今までのドラテク本のように写真満載ではなく、右京語録が沢山つまっているし、エコドライブに関すること、イマドキメンテナンス方法など、技術革新が進み、道路状況や携帯電話などの発達によって変わるインフラを踏まえて「今の車の運転術」を紐解いています。
さすがF1ドライバーだなぁという、ポイントもちょくちょく出てくるし、右京さんのおちゃめなボケ発言など盛り沢山です。

若者の車離れなんていっているけど、そんなこと絶対にない!そりゃ都心にいる仕事時間中は必要ないって私でも思います。
でも、やっぱり車は絶対に一人の空間になれ、しかも異空間に連れて行ってくれる素敵な乗り物。
今までは、おっちゃん達が「ハコ車」っていう固定概念で考えて、そしてそれを押しつけるようにCM作りをしていたから、なんとなく嫌になってきちゃっただけだと私は信じています。
それに自動車ってここ数年、新聞をみれば何兆円もうかっただの、減税がどうだの、シェアが低いだのって、お金や数字のことしか耳にしない。
車が、誰にとって何の幸せを運んでくれるのか、そんな話しここ最近聞いたことない。
私は車はやっぱり“幸せの青い鳥=ブルーバード”(ん?日産だな)なんだと思います。
次の世代(赤ちゃんや子供)を運ぶのも絶対車なしではいられないし、高齢化社会の未来をヘルプするのも絶対車以外存在しない。
車に関わる全ての人が、もっと車と、それが織りなす素敵なストーリーを愛そうよ!
…と、右京さんの本を読みながら、一人リキんでしまうアタクシでした。

2010年9月24日金曜日

毎日新聞政経文化会200回記念

去る9月16日、大宮に激震が走りました。
なんとっ!


このおじさん達は誰でしょ~?

鳥越俊太郎さんと、毎日新聞朝比奈社長です。
この他にもオリエンタルランド(ディズニーランドの日本法人)の社長や、埼玉県知事、さいたま市長などありとあらゆる偉い人が大宮の普通のレストラン(法科大学院の下にあるカフェっぽいところ)に集結した風景です。
私が何か悪事を働こうと思ったら、この日この瞬間を狙うでしょう・・・というぐらいセキュリティ甘いです(笑)
さてこういう写真となった経緯はといえば、毎日新聞さいたま支局が主催している政経文化セミナーという勉強会が200回という節目を迎え、その記念に毎日新聞出身の鳥越氏がゲスト講演、またさいたま支局出身の現朝比奈社長もゲストでいらしていたというわけです。
そして私はなぜこんなところにいるかというと、いつもながらに場違いなんですけど、そしてだいたいが自分の実力でもなんでもないところが私らしいのですが・・・。

親しく意見交換をさせて頂いている方が毎日新聞さいたま支局長になられて、その第一弾のイベントということでチラシ作りをなんとなくお手伝いし(「こんな感じ?」ってラフ投げるだけの、本当にいい加減な手伝いの仕方で)、埼玉県内の私のお取引先さんをなんとなく誘い、そして「軽く遊びにおいでよ、齋藤さんも」とライトな誘いにひょいひょい乗り、行ってみたらすごいメンツばっかりで腰が抜けたという次第です(笑)
なんでこんなにいつも行き当たりばったりなのかしら?
お誘いしたお取引先の方にも、「こんな偉い人ばっかり来るんだったらちゃんと言ってよ」って・・・。
そうですよね、準備とか、普通ありますよね?

でも、まあ皆さん楽しんでご挨拶回りしていたし、結果オーライなんじゃないの?みたいな?
ああ、また他人任せ~。

この会では、埼玉県内の新聞販売店の理事長みたいな方もいらしていました。
トヨタにもトヨタ販売店協会という、全国津々浦々の販売店をとりまとめる組織があります。
この理事長を父は数年やらせていただいていたのですが、その間は全国の販売店支部を行脚して発破をかけたり新しい流通について意見交換をしたりしていました。
新聞にも(当たり前だけど)同じような取りまとめ組織があるのだな、と新たな発見。
そして、記事を作る側(メーカー)とそれを売る側(ディーラー)の関係って、やっぱり50:50であり、相互補完であり、ケンカ友達であり、恋人であるのだと改めて思いました。
どっちがえらいとか、えらくないとか、売ってやってる、作ってやってるじゃなくて、お互いにありがたや~な存在なんですよね。

私も、小さいながら心がけていること。
それは仕入先さんやデザイナーさんなどフリーでお仕事して下さっている方達のことを、決して「業者」と呼ばないようにすること。
逆もしかりで、私も自分の会社のことを「業者」という言い方しかしない会社とは、いくら大金をつまれてもお仕事しないと心に固く誓っています。(生意気だよって時々言われるけど、ゆずれないんだもーん)
でもこれを教えてくれたのは、主人。
人も会社もお互いに支え、支えられあっているのだからねって。
本当にその通りだと思います。
だからやっぱり周りの人全員に、ありがたや~!!!

2010年9月7日火曜日

会社設立10周年を迎えました

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ


父よ

僕を一人立ちにさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守ることをせよ

常に父の気迫を僕に充たせよ

この遠い道程のため


この遠い道程のため

 これは、高村光太郎の「道程」という有名な詩です。
この“父”とは、一説では実父であり著名な彫刻家・高村光雲を指すものではなく“父なるもの=人間として超越した存在”を指すものだと言われています。

先月8月28日、最愛の母を亡くしました。
父が亡くなったのが昨年の12月20日。たった8ヶ月の内に両親が二人とも私の前から去って行ってしまいました。
父は経営者として師であり、私の道しるべであり、未来でした。
母は経営者の妻として、女性として、嫁として、母として、見本となるべき日常そのものでした。
父が亡くなってすぐ末期がんが発覚した母と、入院・在宅ホスピスの中で、母の人生の仕舞支度を一緒にしながら、「あぁ、なんてこの人は強い人なのだ」と思いを巡らせ、娘として「幕を引くという強さを必ず形に残そう」と懸命に戦った数ヶ月でした。
日常の存在がいなくなるというのは、“常”を失うということです。
梅干や、ぬか漬けや、日々の小言、家事のコツ、目上の方の常識等々…、亡くなった日のその瞬間から「あのお盆はどこにしまっていたっけ?」と小さな小さな“常”の実が大樹からポロポロと落ちていくことを実感しました。

今日、当社は丸10周年を迎えました。
今この瞬間ですら、10周年という月日も、社員やお取引先様やお客様がこれほどまでにサポートしてくれていることも、そして起業という道程を示し、陰日向となり支えてくれていた両親が不在の中でこの日を迎えることもとても信じられない気持ちです。

会社創業は2000年、私が23歳の時。
父から、「お前に人生最大の遊びをさせてやる」と言われました。
私に与えられた課題はただ一つ、「トヨタのGAZOOキャラクター商品でディーラーを盛り上げること」。
翌日から、トヨタ自動車のご担当の方からお電話を沢山頂きました。
トヨタ自動車は、法人としか取引できないと言われました。まず会社にしてから出直してきて下さいと。
もちろん、「会社を作る」なんてことがどんな意味を持つのか、これから訪れる困難や希望がどれほどあるのか、何一つ分かってはいない子供です。
私はすっかり「社長になる!」といい気になって、色々あるであろうことは全部父が揃えてくれるものだと思っていました。
けれど父は、私に「自分で考えなさい」と言うだけでした。

最初の壁は“会社って何?”でした。
会社の作り方と名のつく本をいくつか買い、有限会社と株式会社の違いや設立に至る手順などを読みあさりました。そこで分かったことは、まずお金がいるんだということでした。それもとてつもない大きなお金が。
当然23歳の女の子に株式会社を作るほどのお金があるわけもありません。当時、私は入社2年目のOLでしたから、手取りはそうですね・・・15万円ほどでしたでしょうか?
貯金などあるわけもありません。遊んでましたからね、合コンやクラブやデートばかりで。
「お金ないから会社できないみたい」と父に言いました。
その言葉=だからお父さん貸してよ(ちょうだいよ)です。

そして父が差し出したのは、お金ではなく、ベンチャー企業の社長を紹介するということでした。
その社長から、「起業するなら必ず身銭をきりなさい。人のお金に責任はもたない、自分のお金なら後戻りしない。」と言われました。
その時初めて50%以上の株式を保有する意味を教えられました。そして事業計画書を書き、銀行に融資をお願いするということを教わりました。

次なる壁は、設立をするということです。
会社は、粘度をこねて置物ができるように何か材料があるわけではない、最初は実態のないものです。
その時も父が私に差し出したのは、次なるベンチャー企業家と税理士でした。
その方々から司法書士、社会保険労務士、弁理士という存在を教えられ、一生懸命会社名を考えて何度も商号重複のため登記できない名前を経て、「株式会社アップデイト」が誕生しました。
その当時はまだ稀であった、インキュベーションビルに机を1つ借り、電話を1本引き、ノートパソコンを1台買い、ハンコヤドットコムで、“代表取締役の印”を作り、色々な意味不明な難しそうな書類にハンコをバンバン押しました。
代表取締役の印の重さが分かるのは、もっともっとずっと後の話です。

さて、困りました。
沢山借金があるのに、どうもOL時代とは違い毎月自然にお給料というのは入ってこないみたいなのです。
その時も父が私に差し出したのは、人でした。
営業なんてしたことないので、企画書の書き方と言う本を買って、営業ノウハウ本を買って、そしてスーツを買って、紹介されたお客様のもとへ行きました。
そこで出会った方は開口一番「応援してやる、コンテナ1本ぬいぐるみ持ってこい。」でした。
その方は今、私の最高のアニキ分であり、父のような存在です。
母の余命があと数日であろうと宣告された時、私はこの方に会いに行って、誰にも言わなかったことを吐露し、初めて号泣しました。泣き喚く3時間、その人はずっとそばで話しを聞き続けてくれました。その人との時間をとれるのは、通常2カ月後ぐらい。でも、その日は全ての夜の予定をキャンセルして私につきあってくれました。

会社もできましたし、営業もできました。
さて次なる壁は経理です。会社のお金ってどうやって管理するの?事業ってどうやってやっていくの?
ここから私は父から紹介された人ではなく、自分で人をたどるということをし始めました。
三井海上時代同期であった超頭のいい友人を毎夜仕事終了後に呼び出し、質問攻めです。
借金を返さなければいけなかったので、いつもピーピーの生活で、その友人がせっかく色々教えてくれているのに夕飯はいつも彼のおごりでした。
今は手の届かないような地位に上っていってしまったその彼も、変わらず私のそばで経営アドバイザーをしてくれています。
本当に、私はこの人がいなければ全てをあきらめてしまっていたに違いありません。

会社を経営し始めて、沢山の困難にぶちあたりました。
売れないということ、否定されるということ、あしらわれるということ、欺かれるということ。
「人」という一番大切な宝物を沢山父からもらっていたのに、それを当たり前だと勘違いしていた頃、周りの大人たちはしっかりと私の我欲や虚栄や驕りを見破っていたのですね。

ウツのように、毎朝ベッドから起き上がるのですらできない時期もありました。
そしてリストカットをしてしまおうと思ったこともありました。
毎日そんな私を見ていた母は、順調な時と変わらず私を起こし、朝ごはんを作り、小言を言いました。そして結婚式の時、手紙をくれました。
「女性の幸せを手に入れてくれてうれしい。でも、あなたの才能を決して捨てないで。」と。
会社というものは、始めたら終われない。
その道を歩幅は小さくても、こうして10年と言う月日を歩み続けられたのは、やはり父の道しるべと母の確信でした。

あぁ、とても長くなってしまいましたね。
生まれてくることに意味があるのなら、死ぬことにもきっと意味があるのだと私は思います。
この10年記念日に支えてくれていた両親がいないこと、このこと自体がとてつもなく大きなサポートなのだと信じています。
私は、社員を愛しています。お取引先様、お客様に日々感謝をしています。
ご指導頂く沢山の先輩達にはもう頭があがりません。
私は、とてもちっぽけです。
ちっぽけなまま、この遠い道程のため私は道を作ります。
両親がつけてくれた私の名前は、路子です。
「道路」になるために、道を作り続けます。どうぞみなさん、これからの道のりもよろしくお願いいたします。