2009年12月26日土曜日

12月20日、父が亡くなりました

今日のブログは、たぶんとても長くなります。
そして書くのに時間がかかると思います。

12月20日、私が最高・最強の男と尊敬し、愛し続けた父が亡くなりました。
享年66歳と2日。
誕生日を迎えてすぐのお迎えでした。

20日午前2時を回った頃、血圧は上が60を切り、酸素も入らなくなり、脈拍も50を切り出しました。
2時18分、「あと3分生きてくれれば、2時21分だから私の誕生日と一緒なんだよ」と私は父に言いました。
モニターの全ての数字が0となり、ピーという音が病室に響いた時、時刻は2時21分を指していました。
父は最後まで娘のワガママを聞いて逝きました。
「しまった、これじゃあ毎年誕生日のたびに思い出しちゃうね」
最後の最後、永遠の絆ができました。

父が食道がんになったのは3年半前。5年生存率は30%、食道がんの場合は再発しても二度と手術をすることはできず、治療は抗がん剤のみ。手術から1年後に肝臓へ再発し、医師から告げられた余命は9か月。
様々な治療方法を模索し、最後は車いすでヒューストンまでガンの最先端治療を受けに行きました。
最先端、5年後は、10年後は・・・と長期的スパンでとにかく前へ前へと全てを進めていく人でした。
こんな体でアメリカなんて、という人は沢山いましたが、このアメリカでの治療がなければ家族全員で誕生日を迎えられなかったかもしれません。その行動力、決断力、グローバル思考にやはりあっぱれです。

父が死ぬ時はきっと私の枕元にたって、何かを言い残していくのだろうと思っていました。
だから、危篤の連絡が入り、もしかしてヒューストンに着いた時には死に目に間に合わないかもしれないといわれながらあわてて乗った飛行機の中でもなぜか妙に落ち着いていました。
たぶん、大丈夫と。

ですが、12月17日の夜は違いました。
夜中に私は過呼吸になり、急激な不安に襲われ、涙が止まりませんでした。
ああ、きっともうすぐ父はいなくなってしまうに違いないと思いました。
翌日目をはらして会社に行き、社員に「また飲みすぎでしょ?」と言われた時、なぜかほっとしました。
考えすぎだったかもしれない、ただお酒のせいだったのかもしれない、と。
でもやはりあれが合図だったのですね。

父がガンになってからというもの、私にも色々な感情の波が押し寄せました。
幾度となく襲う「危篤」の知らせ、携帯が手放せない枕元、周囲の雑言。
ひとつひとつをしっかりと受け止めながら、事実だけを見据え、「私が今後30年以上生きていくにあたって最適な選択肢」を精査していく心と頭の作業は精神的にも体力的にも並大抵のものではありませんでした。
「父が死んでからどうするか」ということを、生きてるその人の前で話さなければならないことがこんなにも残酷で、ロジカルで、現実味がないものだと初めて知りました。
自動車業界、県の経済界にとって大きな影響力を持っていた人でしたからそれぞれの立場で沢山の整理整頓が必要でした。
ですが、父が普通の3倍以上の時間をくれたおかげで、私は色々な整理や改革や進化を生むことができました。父のために何ができるか?という考え方から、私のために何をすべきか?と転換し、それが結局は私の未来を案じる父に何ができるかということにつながるということだと思えるようになったのはいつからだったでしょうか。
いつどの瞬間に父の死が訪れても、私自身が父と過ごした過去と父が見守る未来に一滴の後悔もないこと。
これが私が最後に父へ捧げるプレゼントです。

ダディッコの「イクメンパパラッチ」インタビューで、お父さんから教わったことは何ですか?という質問をしています。
もし自問自答するならば、“頭の中全部”です。
母は、父と私を【一卵性親子】と呼んでいました。
もう何かを教わることはできません。でも、基礎があれば応用力は自分で養うものです。
父は、ネットワーク、経済観念、経営手法、義理と人情、グローバリゼーション、文化と教養、ファッション、食事等など、全方位の基礎を小さい頃からこの目で、この舌で、この足で、この頭で、この体で感じさせてくれました。これが私が父から引き継いだ財産です。これを大きく肥やしていけるかは私次第です。

今日は父の初七日です。
きっとふと思い出とともに悲しみが押し寄せてくるのでしょう。
でも昔のように父に相談しなければ一歩も前に進めない私ではありません。
自分自身の応用力でこなしていけます。それを支えてくれる人達もいます。

アップデイトは、父にとって安らげる遊び場でした。
父の立場ではできない、“変な事業”を考える研究所でした。
元気な時と同じように、きっとこれからもちょくちょく新橋の事務所へ遊びに来るに違いありません。
ずっとアップデイトが父の遊び場でいられるよう、会社を元気に引っ張っていきます。

だから来年も、これからもずっと、みなさんよろしくお願いいたします!

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