あれから丸2年の月日が経ちました。
本当に大好きで、大好きで、この世の中で一番尊敬していた父の他界からあっという間にそんな時間が経って、自分でもびっくりです。
父が亡くなってからというもの、とても不思議なことが多くありました。
「こういう風になったらいいな」
「ああいう能力を持っている人がほしいな」
そんな風に頭に描くと、なぜかそのひと月後、ふた月後、半年後・・・それぞれの一番いいタイミングで願がかなう。
頭の中を巻き戻して見れば、「お父さん、あのね、今こんなことで悩んでいるの」と相談していた自分がいるのです。
父が亡くなった2009年、幕張での最後のモーターショーがありました。
亡くなる2ヵ月前でしたから、もう虫の吐息で、行けるはずもないのに、病院でスケジュールを確認しながら「俺は行く」と言っていました。
私は、会社を始めてからというもの、モーターショーは常に父と2人で回っていました。
2人で会場を回っていると、「おいおい、銀座のねーちゃん連れてきちゃってるよ、こんなオフィシャルな場所に」なんて感じで遠巻きに見られ、「娘だよ」と父が私を紹介するとこぞってみなさん“ほっ”とした顔をする。
そんなイタズラも2人で楽しんでいました。
亡くなる最後のモーターショー、最後の幕張も本当は父と一緒に周り、「トヨタのこれから、クルマのこれから」を話していたかった。
病床で父が笑いながら、「路子、俺が死んだらな、次のモーターショーは絶対幕張じゃなくなるぞ。ビッグサイトになるんだぞ。」と冗談とも本気ともつかないことを話していましたね。
振り返れば10年前、モーターショーで一緒に回りながら父が夢物語のように話していたスバル、BMWの話。
このモーターショーで現実になりました。
改めて、父の時代を読む目のすごさ、そのための惜しみない努力を見せつけられました。
「路子、これからのクルマはな・・・、これからの自動車業界はな・・・、路子、俺がやりたいのはな・・・、クルマの可能性はな・・・」
父がいつともなく話していた言葉が、時々ふっと湧いてきます。
いつの間にか刷りこまれていた、父の願い=私の願い。
表現方法はきっと違うだろうけれど、いつまでも、いつまでも、私は父の背中を追い、時々甘え、たまには叱られていくのでしょう。
父との絆。父が作ってくれた絆。
いつまでも、いつまでも大切にしていきます。
2011年12月28日水曜日
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