携帯電話も持たず、鞄も持たず、いつもジャケットのポケットに薄い長財布と手帳と鉛筆だけ持って行動していました。
手帳を見ると2001年の手帳にはすでに「ユビキタスネットワーク」というメモがあるほど、IT関連情報には敏感で、よくぞそこまで・・・と思うほどに情報関連の本、有識者との勉強会など参加していました。亡くなる数ヶ月前に言われたことは、「路子、これからはクラウド時代なんだからな。」でしたしね。
でもこれが面白いことに、そんなに最先端の情報を理解しているのに本人はいたって機械音痴。
パソコンも買ったはいいけど、キーボードが使いこなせずホコリをかぶり(笑)
私も父ほどではないもののIT関連のポテンシャルはある方だと思いますが、ビデオ録画は怖くてできないので社員かダンナさんにやってもらってます(汗) やっぱり似た者親子だな。
【父が愛用していたトヨタ手帳と千葉トヨペット鉛筆】
手帳をめくるとその当時の光景が走馬灯のように駆け巡ります。
よく、『お前、俺の代理で勉強会行ってこい』とか『俺が今から言うこと、きれいな資料してくれ』とか『このスピーチ、英語に訳してくれ』とか、社外のことでは良きスタッフとなっていた(と、思う)あの頃。
一番驚いたのは、「経済評論家 青山繁治勉強会」に代理出席させられたことかな。
周りは全員“げげげっ”という大物社長ばかりで、その中で阿部政権に関する意見などが交換されて、青山先生に「今日、紅一点の勝又さん、若い人(たぶん当時26ぐらいかな?)の意見をどうぞ」なんて振られて・・・。
ヘタに何か言ったら絶対エグられる!と「阿部さんは勝負の時は赤いネクタイで・・・」なんてどうでもいい話をして、「そういう観点はおじさん達にはないね、ありがとう。」とサクッと子供はもうお帰りなさい的な?(笑)
当たり前だけど、うわっ経済と政治ってこんな風につながってるんだ!!と若輩者は衝撃を受け・・・。
父が経営者として、残していった言葉はあまたありますが、この手帳のめくった最初のページに毎年書いてあった3つの言葉。
【企業が安定している状態とは、“ドラスティックに変化している時”】
【スリム化、フラット化、スピード化】
【ヤメる、減らす、変える】
毎年、年の初めに自分の緒を締める意味で書いていたのだろうと思います。
祖父の代から引き続き大切にしている「人は石垣 人は城」。これを引き継ぎながら、父が自分の時代に大事にしていた言葉は変革に富んだものでした。
この手帳を見ながら、二人の偉大な経営者の言葉に重ねる言葉を、私は自分が目指す場所をしっかり見据えて見出すことができるのは、いつになるのだろうか?
まだまだ、その道は荒野。
経験と知恵の宝箱はずっとずっと遠くの木の陰にあるみたいです。