2011年3月27日日曜日

魅せられた!トヨタディーラーネットワークの強さ

私は、トヨタディーラーの雄とされる首都圏全域に網する『トヨタ勝又グループ』の筆頭オーナーの娘としてこの世に生を受けました。
そして、そのネットワークを引率する尊敬する父から、大きな大きな力を引き継ぎました。
それは権力や資金や人脈ではありません。
『考え方』という目に見えないものです。

父は生前ずっと『国内全域に広がるトヨタディーラーネットワークの有効活用』を大なり小なりで私に語っていました。
ですから、私にはその考え方が当然のこととしてベースになっています。
これまで、仕事をしながら、この考え方をベースに色々な企画を提案したり、行動したりしてきました。でも、これは必ずしも好意的に受け止められるものではありませんでしたし、多くの批判も受け、そして大きな裏切りも沢山受けました。
それは今となっては、私の教師であり、そして反面教師でもあります。

けれども、今回の震災で、私は初めて父が言っていた『トヨタディーラーネットワーク』という強さを実感しました。
神戸トヨペット、大阪トヨペットから、茨城・福島・宮城・岩手へ、埼玉トヨペットを経由して燃料と食糧リレーが行われました。
それにより、地元ディーラーから地域の皆さんへという、大きな支援のハブとして地元ディーラーが機能し始めました。

ネッツ店のつながりで、ネッツ東埼玉から隣県のネッツ福島へ、メッセージ入りの水が届けられました。それも、ネッツ東埼玉の社長が自ら運転して社員全員の思いを届けたのです。

地震の翌翌日、神戸トヨペットのオーナーへ、地元のトヨタディーラーが早期に復活し、地域の皆さんの足であるクルマが正常に機能するために、阪神大震災の時に神戸トヨペットが辿った復興
へのマニュアルを展開してほしいとお願いしました。
お願いしたその時は、『ごめん、そういったものは残ってないんだ』と頭を垂れられました。
でも、その2日後、『路子ちゃん、当時いた社員と、OBに聞いて、資料を引っ張り出して、当時のことをインタビューしてまとめて被災地に資料を送ったよ』と連絡が来ました。
この組織力、この団結力、そして大きな協力ネットワーク。

私が個人でもっている力は余りに小さくて、本当に忸怩たる思いです。
でも、日本の基幹産業である自動車産業の前線ネットワークが、こうして確実に、そして強力に効力を発していること。
これを間近に見て、その強さに確信をもって、小さな支援を継続できること。
私にこのような考え方を植え付けてくれた亡くなった父に感謝です。
日本の大動脈となりうる、自動車ディーラーネットワークの強さがこれからも人道支援、経済活動全てに大きく機能するであろうと実感した1週間でした。

2011年3月16日水曜日

被災地救援にスピードを!

この度の東北関東大震災におきまして被災された方々、そしてそのご家族、ご関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げますと共に、今回の震災及び津波災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

当社は、今週一杯社員全員の自宅待機を命じ、休業の決定を致しました。
業務再開は週明けを予定しております。
ご関係者の皆様、お客様にはご迷惑をおかけいたしておりますが、当社と致しましては最大限被災地域に対してご協力をしたいと考えております。
我々は被災後1週間という重要な時期に、集中して燃料・エネルギー確保に全社一丸となって務め、とにかく最低限の生活を被災地に届けることに全力で取り組みます。
その後はさらなる健全な経済活動に努め、被災地に対する継続的な支援を行って参ります。
災害支援は瞬間ではなく、集中、選択、スピード、そして継続だと考えるからです。


当社には東北のお客様が多数いらっしゃいます。
クライアントであり、友人であるカーディーラーの皆さんから、被災地通電した翌日より悲痛なほどの“救援要求”がありました。
現地状況を確認すると、避難所には自治体からの救援物資が徐々に届いているものの、個人宅で被災した人には備蓄もなく、また圧倒的に燃料不足に陥り、移動もままならず店舗や社員の被害状況の確認ができないままであるということで、とにかく個別少量でもいいので燃料と食糧をもってきて欲しいという依頼でした。

原発の状況も見えない時点ではありましたし、一般車両被災地進入禁止となっているという情報もありました。また、個別救援は自衛隊等の緊急車両配送に支障をきたすという情報もありましたので避けていました。
ですが、現地からの要求はそれに勝るもので、とにかくやれるだけやってみようと、13日深夜東京を出発しました。
そして、仙台→福島→郡山→水戸へ物資を運びました。
積載したのはガソリン、食糧、ウェットティッシュや生理用品等の生活用品です。

                   【ガソリン携行缶に入れた燃料、食糧等】

浦和から東北道は緊急車両用に全面通行止めでしたので、仙台まで全て下道4号線で北上しました。真夜中でしたから、ほとんど車両もなく何のストレスもなく仙台に到着することが出来ました。
その間、東北動上で緊急車両が列をなして物資配送をしている…というような風景は残念ながら見られませんでした。
政府緊急車両のみの通行許可ではなく、民間企業の救援車両の許可をいち早くすべきだと思います。今、道路をガラガラにしておく事態ではないはずです。

                      【ガラガラの東北自動車道】
仙台に到着したのは早朝7時。
仙台市内は、信号機の通電がなく、また警察による手旗信号補助もないため歩行者と自動車が交差する地点では交通事故発生が今にも起こる事態でした。
断続的な断水や停電はもとより、食糧不足によるスーパーの長蛇の列、そして閉店のガソリンスタンドに数十キロと並ぶ自動車。
被害の多かった石巻では強奪等も発生しているようです。
 
次に、福島、そして郡山に向かい、最後に水戸に入りました。
どの地域も大差ない状況です。
 
福島県の皆さんは原発事故に対して本当にナーバスになっています。正確な情報はもちろんですが、早く行政が生存者の県外退避を行うように強く求めます。
そして、水戸。
報道では三陸沖の被害がひどい地域の映像が繰り返し流されていますが、茨城に関する報道は一切といっていいほどありません。
水戸も被災地です。
彼らも大変な被害を受けています。私も水戸へ燃料支援に行きましたが、震災翌日に社員に指示し、食糧を運ばせました。
 
              【こんな時にも横にならないけど・・・夜中に物資を届けた社員】

いずれの被災地の皆さんも、本当に涙を流さんばかりに喜んでいました。
“救援”は、論よりスピード、論より実です。
とにかく民間の力と政府の力を一致団結し、集中した被災地支援をしてもらいたいと思います。
 
 
TVをつけると、ショッキングな映像をが流れっぱなしです。
各局全て同じ映像、同じ情報、とにかくひどいものほどいいというような、そんな報道がなされているように感じます。
ショックさを競うことが報道でしょうか?
これは国家的危機だと認識しています。こういう時、報道関係者は横断的に番組編成を考えてはもらえないでしょうか?
子供達に対するアニメや、将来を担う学生達に対する番組提供も、被災地でも、そして被災地以外でも必要だと思います。
 
そして被災地以外の健全な経済活動こそが、復興支援に直接的間接的に役立ちます。
被災地のライフライン確保支援を集中的に行い、その後は一気に経済活動を加速させ、被災地復興のために日本の経済界全体が動くべきだと思います。

IT技術が発展し、今回はTwitterやfacebookで被災地の状況を知ることができました。
友人達の無事を知ること、知らせることが出来てとても重宝しました。
でも、『寄付をした』とつぶやくことが一体被災地の何のためになるのでしょうか?
『頑張ってください』『何か出来ることがあれば・・・』とつぶやくことが、何になるのでしょうか?
それならば、そこで使っている電力を被災地に回して下さい。
それに使用する労力を復興のためのパワーに変えて下さい。
『何か出来ることがあれば・・・』とつぶやく前に、行動して下さい。
行動とは、現地ボランティア支援や救援物資を運ぶことだけじゃありません。節電だけでもありません。国力強化、経済発展からしか、真の復興はありえません。

そして、Twitter上でよく見られたのが“不謹慎論”
根拠のない“不謹慎論”はストップすべきだと私は思います。
関東以西に対して、ダイレクトメールやメールマガジンを送ることで何か被災地に影響がありますか?
その積極的な経済活動により、義援金がより多く集まることにつながるのではないでしょうか。
さらに言えば、そのメーカー等はもしかしたら被災地の工場で作られたものかもしれません。
何度も言いますが、日本経済の活性化=被災地復興にダイレクトにつながると私は思います。

今回私達が物資救援を行ったカーディーラーは地域ごとに拠点があります。
ここをハブにして地域の皆さんに物資をお届したいと、みなさん口をそろえていっています。
私達が運んだ物資もそのように配布されたと聞いています。
また、生活の安定のために自動車の早期修理復旧も早急の課題です。
微力ながら当社クライアントを救援し続けることで、地域全体に支援の輪が広がっていくものと思っています。

2011年3月9日水曜日

結婚式は緊急記者会見!?

気合を入れたプレゼンを終え、土曜日は大阪リッツカールトンで結婚式がありました。
お取引先のご子息であり、夫婦共通の後輩。
よく私の名古屋の家に遊びに来ては食い倒れ、食い倒れては飲んだくれ、飲んだくれては彼女のノロケを言いまくる、そんな愛しき後輩くん。
色々な紆余曲折を経てこの度無事愛する彼女とゴールイン。(結婚はフルマラソンの始まりなんだけどね…。実は…。)

私はダンナと前日からホテル入りし、夜は大好きなたこ焼きを満喫。
うまかった。

翌日結婚式は11時半からだったので、お疲れモードの私はお部屋でゆっくりと過ごしたい。
そりゃそうだよ。
ですが、スポーツマン(ほとんどイカレてる域)のダンナに無理矢理連れられて朝7時台からフィットネスセンターで水中ウォーキング。
そうですよね、一に体力、二に体力。
分かってますよ、私の生活に体力が必要なことは…。えっちらおっちら30分歩きました。

その後は、リッツカールトンスペシャルブレックファースト!
(ただのバッフェです)うまかった。

そして結婚式。
お相手の女性が、実は芸能レポーターの井上公造さんのマネージャーだったため、奥さん側の来賓は全員芸能レポーター!
いやぁ、サラリーマンと芸能事務所。
対照的なスピーチ、対照的なパフォーマンスでした。

芸能レポーターの人達にとっても愛されているのが分かる一幕。急遽本物のレポーターによる囲み緊急記者会見の余興ありっ!

いやぁ、こういう道もプロっているんですねと実感しました。

2011年3月8日火曜日

世代を感じたイーグルスコンサート

さすがに少々バテぎみです。

先週はテレビ取材を受けた後、ちょっと気合を入れなければならないプレゼンがありまして。
しかも週末にかけて名古屋でイーグルス結成40周年コンサートやら、大阪で結婚式やら、静岡でマラソン大会やら、全国縦断昼夜問わずのビジネス&エンタメ旅行記が開催されていました。
今週はお陰さまでデスクワークの週ですが(=聞こえはいいけど、要するに作業員と化す)、肩コリハンパないっす。

イーグルスのコンサートは、お取引先のオーディオメーカーさんからのご招待でした。
周りはみんな偉い人。で、いつもの「なぜか私がここに・・・」現象。
コンサート自体は、偉い人達はとっても盛り上がっていたのですが、私と私と同年代の販売店の重役はポカーンとしてました。

いわゆる世代間ギャップ。

Hotel Californiaぐらいしか知らない…みたいな。

しかも、往年の名スターはご高齢のため途中15分休憩が入りました。これはミュージカルか?(笑)
でも普段忙しく、責任の重いお仕事をされているお偉い方々がご夫婦で青春時代に戻ってはしゃいでいる風景をみてなんだかほっこりしました。
一応この日は、イーグルスが好きだった両親を思いながら、毎日している父の遺骨指輪+母のスーツ(ついでにコートも、バッグも全部)で行きました。
同席した皆さんと、両親も久々に楽しい空間で会えてうれしかった…かな?

そして、まあご招待=接待なので。
当然コンサートを楽しむだけではいかないわけでね(笑)

異例の3時間熱狂パフォーマンスの後、懇親会&プレゼンが終わったのは夜の12時。
そして待っていた懇親会の司会者は、なんと元ZIP FMの看板男“どーも、どーも、どーも”のクリスグレン!
超久しぶりだよ、クリス。こんなとこでまさか会うとは!!

Face bookで友達申請ありがとう(笑)

今度はクリスのヘリコプターで空を一緒にかけめぐろーぜぃ!